男子大学生の日常

男子大学生の雑記ブログです

映画レビュー:『女神の見えざる手』(2016)

〇感想 5点/5

いやあ面白い!!

たくさんの魅力の詰まった映画でした。これだけ興奮したのは久しぶり。

政治劇というだけで面白く、駆け引き・ゲーム感がまず醍醐味としてあります。

しかしそれだけではなくて、一人一人のキャラクターが立っていて、ヒューマンドラマとしても良いですね。主人公は仕事観や人生観で特異なキャラクターであり、コール=クラヴィッツウォーターマン社の部下、ピーターソン=ワイアットのCEO、チームの一員エズメ、エスコートサービスの男、弁護士、他にもたくさんいます。

また、ビジネス、政界、アカデミア等の様々なシーンで「アメリカらしさ」が全開でした(実際どれくらいアメリカの実態を反映しているのかは知らんけど)。

また、主演のジェシカ・チャステインのファンになっちゃいました。ゼロダークサーティも好きでしたが、やはり「骨のある女性」「できる女性」の演技がとてもうまい!

 

細かい考察はしません(ネタバレになると面白さ半減なので)。全てではないですが、重要な点はこのサイトの考察が参考になります。

完全に全貌を明らかにしていないので、視聴者が映画を見終わった後まだまだ議論できるようになっています。

近況報告0112:研究テーマがかなり決定した

これまで、様々なことに関心があり、研究テーマが決定できなかった。卒論も、題目提出の段階である程度関心があったものを選択したが、結局すごくハマったわけではなかった。

 

これまでの自分の人生(高校~大学)を振り返って、自分の実体験や学習経験をよーく内省し、自分の関心の核を念入りに探ってきた。そこで、ごちゃごちゃした学習経験の中に、自分の関心の核の部分を段々とつかめるようになってきた。

 

第一に、自分の関心は、数理的な手法によって世界を明らかにしていくという方法論である。質的調査には関心が向かなかった。また、高校の頃は文系だったが、数学と物理と生物はすごく好きだった。

第二に、マクロなこと、普遍的なことにより関心がある。人類史もそうだし、国際比較が好きだった。つまり、空間的・時間的に広いことを捉えると快感を覚える。これは1つ目の点と密接につながる。普遍的なことを考えようとすると、全ての事象を統一的に表す数式を見つけることや、大規模データの解析が必要で、数理的手法が自ずと必要になる。

また、マクロなこと、普遍的なことに関心があるのは、自分がクリスチャンであることにも関連している。聖書には世界の真理が書かれているからである。

関心は、相対性理論量子力学、宇宙などの物理現象から、進化生物学などの生物現象、経済成長や政治制度の変遷などの社会現象、人間の行動形質に関する行為論まで様々であるが、自分はやはり「人間と世界」に関心がありそうだと気づく。つまり、「世界」だけでは駄目なので、物理学とかはここでなくなる(といっても宇宙はめちゃめちゃ好きである)。

第三に、本質的・中核的なことに関心がある。現代の様々な社会制度(ex. 選択的夫婦別姓)を個々に見ていき、具体的な政策論議をすることも確かに面白い。しかしながら、そもそも人間が制度を作るのはなぜか?それは本質的には社会集団のルール作りであって、家庭で風呂掃除の担当をどう決めるかとか、小学校の学級目標決めとかと一緒である。そういった人間社会の本質的・中核的な部分を取り出し、その議論に現代の諸制度を位置づけるということが面白い。もし、その本質的な要素を議論の出発点とすることで具体的な政策論議に新しい視点を導入出来たら、最高である。神取ミクロを初めて読んだ時の興奮体験は忘れられない。市場の原理と共同体の原理から、「人類の協力形態」全般にまで話を拡張していた。

第四に、人間の形質が遺伝子と環境によって決まる過程と、その進化的説明にワクワクを覚える。また、合理的選択理論などの行為理論にも従来から関心があった。具体的な行動(アプリケーション)よりも、人はどのように意思決定しているのか(OS)に関心があった。

 

ここまでくると、かなり明確になった。つまり、人間の形質の規定要因は遺伝子・自然環境・社会環境であり、遺伝子は進化生物学、自然環境は人文地理学、社会環境はミクロ経済学・数理社会学が対応している。また、遺伝子と環境の間を仲介する役割を果たす社会心理学行動経済学・文化進化も重要だ。

 

よって、自分の関心は「遺伝子と社会環境と自然環境によって形質が規定されるメカニズムを明らかにすることであり、それは空間的・時間的に広い視野に基づくものであり、そのためにも数理的・計量的手法を用いる必要がある」ということになる。

理論面では、進化生物学、社会心理学行動経済学・文化進化、人文地理学、ミクロ経済学・数理社会学の理論・数理モデルを学ぶことになり、実証面では分野横断的な計量分析を勉強することになる。幸いなことに、計量分析は大学4年間である程度勉強してきたし、何か追加で学ぶ必要があればその都度勉強すれば良い。

 

次に、何の形質を扱うかという研究対象について述べる。

第一に、自分はクリスチャンであるということが自分の人生に強く影響してきた。つまり、信仰心・宗教団体所属などの宗教的形質は当然関心があるが、それだけでなく罪の意識や利他心、隣人愛などについても考えてきた。どうすれば他の人に優しくすることができるのか、なぜ人はアカの他人である未来世代のために環境問題に取り組むのか、社会の協働メカニズムは市場原理と共同体原理のどちらが有効か等のことにずっと関心があった。つまり、このような人の気持ち、思想、パーソナリティ、信仰心、協調行動などの形質に強い関心があることが自覚できた。

第二に、文化的な現象への関心が最近高まっているということだ。以前は、経済や福祉、労働などの社会問題に関心があったのだが、むしろ人の幸福感や社会意識、文化などの「生活の質的側面」に関心が傾いてきた。見田宗介現代社会はどこに向かうか』の影響力が大きい。

つまり、研究対象は、宗教的な形質、人の隣人愛や利他心などのパーソナリティ、社会の協働原理、幸福感や現在志向などの意識、人々の実践する文化などになろうか。

 

これで、やりたいことがかなり決まった。研究対象は、遺伝子ー人間の形質(宗教、パーソナリティ、意識、文化)ー環境の因果メカニズムの解明であり、方法論は、数理モデル(理論)と計量分析(実証)に基づいた歴史的・国際比較的視野に立った進化論的アプローチである。依拠する学問は、進化生物学、社会心理学行動経済学・文化進化、人文地理学、ミクロ経済学・数理社会学である。

 

もちろんこれでもまだ広い。しかしながら、人生の初期段階でやりたいテーマを決める際には、広いほど良いのではないか。研究テーマに枯渇する心配や飽きる心配がないのだから。上記の学問は、いずれも大学で専攻してものではない。因果推論や機械学習などの計量分析はほぼ全ての学問で有用なので、それを勉強していたのは良策だった。だから、上記の学問の理論面をまず教科書的に勉強する。そして、その中で特に関心を抱いた分野に入っていきたい。

 

とても参考になる2人の学者を見つけた。大垣昌夫と川越敏司である。2人とも行動経済学・実験経済学で活躍しているようで、ゲーム理論計量経済学にも精通しているようだ。研究テーマも、共同体や社会的選好、文化などで私の関心と近い。そして、2人ともクリスチャンである。大垣昌夫は『宗教の経済学』の解説も担当している。

私も彼らのような研究者になりたい。そのためにやらねばならないことはたくさんある。しかし、やっと自分の人生を通して追求したいテーマがある程度の自信をもって見つけられた喜びは大きい。

映画レビュー:『シンドラーのリスト』(1993)

〇感想 4点/5

大名作。

リーアム・ニーソンは好きない俳優だが、96時間とかアクション系ばっか出るので、全然イメージが違った。『ザ・シークレットマン』の雰囲気と近いか。

印象に残ったシーンは、

・女性がガス室に入れられるシーン(結果的にただのシャワーだった)

・兵士にユダヤ人の殺害を許可したものの、「人間として」帰っていくシーン(まあこれは、戦争犯罪人になること確定なので身を守った意図もあるだろうが)

だ。

ユダヤ人迫害系だと『サウルの息子』が素晴らしかったが、やはりこれも素晴らしかった。

 

少しだけ、気になったのは、主人公が「もっと救えた」と嘆くシーン。主人公が後悔すること自体はまあ良いのだが、あまりにもユダヤ人を助けたい意図がにじみ出ると、将校たちに反感をくらい、逆に誰も救えないことにもなりかねないので、あのバランスの中ではうまくやった方だと感じる。

 

また、助かったのはほんの一握りだということが強調されているのもこの映画の良い点だ。アウシュビッツで、階段を下っていくシーン等によく表れている。

 

最後に、個人的な話になってしまうが、高校の頃の歴史の教員が「皆さんはお金持ちになってください。それで人を助けられますから」と最後の授業で言ったのを思い出した。

人の醜悪がむき出しになった混沌とした世界では、正義感や倫理観は機能しない。そんな世界の中で、事を成し遂げられる手段は、金しかないだろう。

お金を貯めて、それを困っている人のために使いたいと決心した。

この世界は決定論か確率論か?

量子力学の世界

量子力学では、確率的に決まる(古典物理学が想定していたように決定論的に決まらない)事象の存在が明らかになっている。観察確率は波動関数の二乗で表されるようだ(しかし「観察」と「生起」も異なるらしいので、それは今後考える)。

ここで言う「確率的」というのは、以下の例のような頻度論的なものとは異なる。例えば、1年間の内に飛行機墜落事故が生じる確率は頻度論的に算出できる(墜落事故の件数/1年間の全フライト件数)。しかしながらそれぞれの墜落事故は「起こるべくして起こった」のである。例えば「整備士の準備不足」であれ、「バードストライク」であれ、何らかの事故の原因が特定できるはずで、そこには原因ー結果という因果関係が確かに作用している。

量子力学で言っていることはそういうことではなくて、飛行機Aが墜落するかどうかは確率的に決まっており、何らかの確率分布に従っているということなのである。

 

カオス理論とかも含めてマクロな現象を分析する時に確率的な挙動が確認されることはあるだろうが、それも違う。それはミクロなレベルでは事象として決定論的に決まっているけど、「広い視野で見てみると確率的に見えるよね」という便宜的(非本質的)なものである。

量子力学は事象の生起自体が確率的に生じると言っているのであり、大変興味深いし、これがどれほどマクロな事象にも作用しているのかについて解明が進んでほしい。

 

キリスト教から考えるこの世界

世俗的な確率論・決定論キリスト教的な決定論は以下のように整理できる。

 

地上世界の変数だけで100%説明ができる=「(世俗的な)決定論」=唯物論

地上世界の変数だけで100%説明ができない=「(世俗的な)確率論」=唯確率論=「(キリスト教的)決定論

 

クリスチャンとしての私の考えは、この地上世界及び天国なども含めた(言葉通りの)全体世界は因果的に、決定論的に決まっているというものだ。それは全知全能の神がビッグバンや洪水などの形で介入する力があるし、「確率的に事象が決まるアルゴリズム」自体を世界の創造の段階で組み入れていたのなら、それ自体は決定論的である。

人間にとって確率的に見える挙動も、天国などのデータを考慮すれば、決定論的になっているだろうというのが信仰者としての私の予想だ。つまり、「どれだけ実験を精密にデザインしても考慮に入れられていない作用してしまっている変数Xが存在する」という世俗的な決定論を信奉する科学者の量子力学への批判を借りれば、「その変数Xとは神の介入である」と言うのが私の考えだ。

 

映画レビュー:『サーミの血』(2016)

〇感想 5点/5

アマプラにあったので見てみたが、素晴らしい。

まず、北欧の自然の映像が良い。やはり、映画で綺麗な自然が入るのは本当に良い。

まだ見てないが、『ノマドランド』もこういう感じなのかもしれない。

 

映画レビュー:『Fukushima 50』(2020)

〇感想 4点/5

ドラマ『チェルノブイリ』を見て大変面白かったが、本作も良い映画だと思った。

現場の緊張感や原発内部の状況の再現、感動的なストーリーは良かった。

 

ただし、3点気になることがあった。3つとも、実際の事実をどれほど正確に反映しているかに関わるもので、実際がどうだったかちゃんと勉強してないが、「本当にそうだったの?」と疑問に思うことである。

 

1点目は、統制が取れていないシーンだ。本店⇔本部長⇔現場の間の連携が取れていないシーンが多々出てくる。確かに、上の命令が不適切な場合があるのだろうが、その場合もきちんと議論をして合意を取ってから進めるべきだと思う。もしあのような形で、勝手に上に逆らって進めているのだとしたら、少し怖いと感じた。また、退避するように命令があった時に、「残らせてください」と毎回毎回主張してくる部下が出てくるが、あれも円滑な対応を妨げるもので、あまり理解できない。

 

2点目は、本部長がめちゃめちゃキレていることだ。実際を知らないので正確なことは分からないが、前にドキュメンタリーを見た時には、吉田所長はそんなにきれてなかった気がする。

 

3点目は、2点目と関わるが、キレる本部長vs無能な本店・菅総理という構図が強すぎることだ。確かに、福島原発事故の対応の中での本店・菅総理の無能さはよく引き合いにされるが、この映画ではそれがあまりにも露骨に表現されるので、少し疑問に思ってしまった。

 

また、もう少し詳細に事故一つ一つを追ってほしかった気もする。

あと、途中で海外のニュース番組の映像が流れるのだが、手作り感がすごい。また、大使館や米軍などの外国人のシーンは、なぜか安っぽい演出になっているのも残念だった。

 

この映画を見て得た知識は、「ベント」である。

政党選びが難しい件について

衆議院選挙がもうすぐということで、自分も政党選びをしなければいけないのだが、正直に言って難しい。

これは自分が不勉強なことが大いにあることを前提に、言い訳を書きたい。

 

私が政党を選択する時は、マニフェスト政権運営能力から判断している。

前者は、「何をしたいか」(希望)であり、後者は「それが達成できるか」(能力)である。

まずここで第一の困難だが、各党の政権運営能力を評価することはかなり困難である。なぜなら、ほとんどの野党は実績が無いからである。現在の立憲民主党は10年前に経験しているが、その時の国民の失望が政権を取れない原因になっているのは確かだ。

一方で、自民党公明党はずっと運営してきているので、当然安定している。

ということで、野党については、政権運営能力の点で与党よりも勝るはずがない。

政権運営能力は実際に運営しないと高まらないので、これで与党に点数を与え続けるのは明らかに不公平である。野党がもし政権を取った時は、ある程度の期間のミスには目をつむるべきだと思う。

 

よって、基本的にはマニフェストで評価する。

マニフェストは、①各政党に共通する政策、②各政党で対立している政策、③各政党のオリジナルの政策の3つに大別できるが、①は当然判断材料にならないし、②は判断材料にすべきだ。

ここで第二の困難だが、③をどう扱うかという問題である。というのも、「表立って発信していないが、やるつもりがある」場合があるからだ。政策XをA党は主張しているが、B党は主張していない場合に、「B党はXに反対している」のか「B党はXに賛成だが言及していない」のかが問題である。

なぜこんなことを言っているかというと、TVや新聞に出てくる各政党の主張のまとめを見てみると、A党が政策Xを主張、B党が政策Yを主張、C党が政策Zを主張という構図になっていることが多い。しかも、どれも私の目からは「やるべきだ」と思う政策の場合が多いのである。つまり、「どれかを選ばせるのでなく、全部やってください」と言いたい。

もちろん、選択的夫婦別姓やLGBTQ、安全保障政策などの政策は、②のことが多く、分かりやすい。しかし、経済政策や財政・社会保障政策は③のことが多い。例えば、立憲民主党は金融所得課税などによる再分配、国民民主党は環境・IT分野への公共投資拡大による需要創出、日本維新の会規制緩和による産業創出を主張しているようだが、はっきり言って全部やってほしい。

 

まあ②がいわゆる「争点」と言われるようなものだと思うので、それを主軸に置けばよいと思うし、③でも明らかに「反対だから掲げていないのだろう」と推測することはできる(他の政策との両立可能性や政党の大きな方針の観点から)。

だが、こんなに大変なら、政治に関心をあまり持っていない人にとっては、投票のコストが高すぎる(しかも結果的に一票だけでは結果は変わらないので、リターンはほぼ皆無である)。

②と③をうまく分けて整理してくれるようなサイトがあればとっても楽だし、各政党の候補者がメディアで発信する時は、他の全政党との相違点を全て並べてほしい。