男子大学生の日常

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私の理想の社会像と関心

私の関心は、①社会的土台(etc. 労働・福祉・教育) ②環境的上限 ③意味充実(etc. 文化・宗教・社会意識)であるが、それぞれを詳しく説明する。

①と②はケイト・ラワースの『ドーナツ経済』を参考にしている。

なお、これは日本だけに限定される話ではなく、人類全体に関する議論である。

 

 

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ドーナツ経済(出典:https://www.asahi.com/articles/DA3S13728141.html

 

①社会的土台

まず、全ての人は、最低限の生活水準を保障されるべきである。そのために必要な量の財・サービスを生産することが不可欠である。

生活は様々な領域にわたるが、相対的貧困、健康、社会的孤立、住居、安全、教育などの各分野について、最低ラインを設定する必要がある。最低ラインの設定が極めて難しいが、例えば「相対的貧困線」などがそれにあたる。そして、最低ラインに達していない人を0人にすることが目標となる。

なお、保障するのは能力であって行為ではない。つまり、自分から望んで満たそうとしない人に強制するべきではない(ex. 断食をする人に無理に食べさせるべきではない)。

また、最低ラインを満たすことを目標とすべきであって、分散は目標にするべきではないと考えている。例えば、貧困と格差であれば、貧困(相対的貧困率)は政策目標にすべきだが、格差(ジニ係数)は目標にすべきではない。なぜなら、格差を0にすることを目標にすれば、その達成手段は共産主義にすることだが、そうすると就労意欲が減退して全体のパイが縮小し、結果的に全員貧困に陥りかねないからだ。その状態は「貧困が良くないから」良くない。格差の縮小は、それが相対的貧困率軽減に寄与する場合にのみ正当化される。

 

日本国内であれば、社会的土台に対応しているのは主に「社会政策」及び「経済政策」といわれる領域だが、より深刻なのは明らかに途上国であろう。途上国のために先進国は、ODA等の開発援助を行ったり、人権を侵害した労働を行わせている取引先との取引を停止したり、難民を受け入れることが必要である。ここ最近ではアフガニスタンの問題があるが、内政不干渉の原則を前提にするならば、危険な地域の難民をそれ以外の地域が受け入れ、かつ防衛することが重要だと考える。つまり、日本は「難民の受け入れ」と「他国から侵略を受けないように防衛すること」が必須だが、特に前者はひどい状況である。日本は人口減少、人手不足が深刻なので、他国よりも相対的に難民を受け入れやすい状況である。

社会学、経済学、政治学などが該当する

 

②環境的上限

これは簡単な話だが、環境を破壊するレベルの経済規模は適切ではない。人類が生存できなくなったり、今生きている人々の生活環境が悪化するからだ。環境の持続可能性を維持するために、経済規模をコントロールしたり、環境を改善するテクノロジーを開発して実装することが必要だ。

環境経済学環境社会学(+理系の諸分野)などが該当する

 

③意味充実

①と②は客観的生活インフラの話であった。しかし、金持ちがみんな幸せかといえばそうではないように、人々は日々意味的な充実を必要としている(そのような人は「リア充」と言われる)。聖書にも「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」と書いてある。

具体的には、仕事の時間と余暇の時間に分けられ、前者については仕事満足度やエンゲージメント、後者については、趣味、宗教、恋愛、友達関係などである。

これは公共政策によって解決できないものもあり、理想状態を設定するのも難しい(もちろん充実している方がいいだろうが、画一的な解決策は存在しない)。つまり、単純に実態を調べるだけになることもある。

→文化社会学、宗教社会学、社会意識論などが該当する

 

 

この内、①と②は政策的議論になるので、シンクタンクで働く中で理想の社会に近づけていきたい。③は単純に興味があり、学術的に宗教社会学の研究をしたい。