男子大学生の日常

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人間科学の構成と分類

本稿では、人間科学を「人間の形質の因果関係を解明する科学」と定義する。形質とは、身体組織、形態、器官、生理メカニズム、パーソナリティ、行動などの様々な人間の要素を包含する概念である。人間科学がどのような要素によって構成されており、人間科学の下位学問がどのような点で異なるのかを考察したい。

 

・人間科学の構成

2つの分類方法が有益だと思われる。

①存在と当為

存在は「~である」にという命題、当為は「~べきである」という命題を扱う。存在は答えがあるが、当為は答えがない。大半の研究は存在に関するものだ。当為には、宗教や思想、イデオロギー等が含まれる。経済学ではパレート効率的(パレート改善)という概念があるが、これは当為も含んでいる気がする(「全人類が肯定しうる状態は目指すべきである」という論理に基づいており、非常に興味深い)。

 

②理論と実証

これは数理社会学ー計量社会学、ミクロ・マクロ経済学計量経済学などに表れているので、それを想像してもらえば分かりやすいと思う。理論研究は、命題の内部の論理的一貫性を追求する。実証研究は、命題と現実の一貫性(一致性)を追求する。といっても、確固とした理論が確率されているのは経済学(ミクロ・マクロ)と生物学(ダーウィン進化論)くらいで、他の学問ではほぼ仮説レベルの素朴なものである。

この時、命題の分類について3つの分類法がある。1つ目は、変数の水準・大きさによる分類で、失業率とかGDPとかの国や都道府県などのマクロな集団一つ一つに対応している変数を扱う場合は「マクロ」、個票データによる個人の変数を扱う場合は「ミクロ」になる。2つ目は、「記述」と「説明」で、記述は1つの変数の挙動を知るもの(ex. 大学進学率はこの50年でどう変化しているか)、説明は2つ以上の変数間の関係を分析するもの(ex. 性別によって大学進学率に違いがあるか)である。

 

・人間科学の分類

人間科学の中で重要な学問は、経済学、社会学、心理学、生物学、地理学である。人間の形質の規定要因は「遺伝」と「環境」に分かれ、「環境」は「社会環境」と「自然環境」に分かれる(自然環境と社会環境の区別はやや曖昧であるが、「自分以外の人間の存在」を社会環境と定義し、それ以外を自然環境と定義する。一般に生物の社会行動は「同種個体間の相互作用」と定義される)。

全ての生物において、自然淘汰による進化のメカニズムが働いていると考えて差しつかえない。進化とは形質の割合の時間的変化のことであり、各形質の適応度(個体が一生の間に生産した子の数)によって形質の割合は変化する。人間で考えれば、イケメン・美女の方が恋人の数が多い(小林 2020)が、これが出生数にも影響していれば自然淘汰が働いていることを意味する。これは「顔面偏差値が高い人の方が好まれる」環境(社会環境)に対する適応である。もちろん、社会によって好まれる容姿(形態形質)は異なるので、社会環境が変化すれば進化が生じる。また、出生数の多寡や自殺者の多寡も社会によって時代によってかなり異なるが、それには遺伝的要因もあれば社会環境や自然環境の要因もあるだろう(特に経済状況や福祉制度、子育て政策などの社会環境の規定力は大きいことが予想される)。

遺伝要因を主に扱うのが生物学と心理学、自然環境要因を主に扱うのが地理学、社会環境要因を主に扱うのが経済学、社会学である。遺伝(心理)と社会環境を同時に扱う社会心理学もある。

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遺伝子ー形質ー環境の因果メカニズム

遺伝子は、容姿や身体能力、性格、喫煙習慣、学力などの様々な形質に影響を与えていて、それは変えられない(遺伝子組み換えはできるが、すでに生まれている人間の遺伝子は変えられない)。だから遺伝子→形質の因果関係だけと思われるかもしれない。それはある一時点の個体について見れば正しい。しかしながら、時間幅を持って集団について見ると異なる。自然淘汰や性淘汰によって生存や生殖に有利な形質を持った個体の遺伝子がより残されるので、形質によって遺伝子の構成割合が変化する(このことを進化)と言う。つまり、見る視点によっては遺伝子→形質と形質→遺伝子の両方がある。

自然環境は、テクノロジーの発展によって影響力が縮小していると思われるが、それでも「あるテクノロジーの導入が必要」という事実は残り続ける。また、気候や気温、日照時間、標高、国の位置とかの影響はいまでも大きいだろう。場所によって産業構造がそもそも違うことが多いし、日照時間が短い地域は自殺率が高いとか、内陸の地域は貿易ができず経済規模が小さいとか、島国は攻められづらいとかいろいろある。こちらも自然環境→形質だけでなく、形質→自然環境の因果がある。地球温暖化は好例だろう。

社会環境は、人工的に作り出された個人に影響を与える環境だ。現代社会は高度に発展した制度を有しており、社会環境の影響力はとても大きい。制度や規範、空気、文化などは個人を一定程度拘束する。また、個人が2人以上集まったらそこには社会が発生するのであり、他者の影響を必ず受けてしまう。

社会学では、性別間の大学進学率の差を社会環境要因(機会格差)に帰する。これは、男女間で学力や進学行動に関する遺伝子に差がないという前提に基づいている。もし男子の方が女子よりも学力が高いのであれば、遺伝子をコントロール変数として統制して、性別のダミー変数の係数を見るべきである(実際には、性別によって学力に関連する遺伝子に有意差がないことが明らかになっている)。また、機会の均等化それ自体は望ましいと思うが、環境要因の規定力が軽減するということは、相対的に遺伝要因の規定力が増大するということである。つまり、機会が均等化された社会とは、遺伝子によって経済的成功が決まる社会である(もちろんメリトクラシーという現在の社会環境を変更することで帰結を変えることは可能だ)。

また、遺伝子や環境は人間の中でも多様性がある。雄が雌よりも体が大きいとか、生殖活動に積極的であるといった現象は全世界の人類で確認されるだろうが、地域によって異なる遺伝子・形質を備えているものもある(適応する環境が違えば淘汰によって備わる形質も変わる)。また、全人類に共通の環境もあるが(ex. 空気中の酸素の比率、殺人は罰則の対象である)、社会によって自然環境や社会環境が異なる場合がほとんどであろう。人間や鳥類がが一夫一妻制を取るのは親の労働負担が大きいからであるが、現代ではひとり親家庭も存在し、各国の福祉制度によってその成立可能性は様々である。平安時代藤原氏のように、子育てをする召使が獲得できる場合には、子育てへの生理的貢献度が小さくすむ雄が複数の雌と子を作り、一夫多妻制を築くこともある。

形質の中でも「行動形質」に焦点を当てているのは「行動科学」である。行動も上記の要因によって規定されるのだが、様々な研究成果を統一的に理解するには、普遍的な行動の発生メカニズムに関する理論を打ち立てる必要がある。これが行為理論であり、理論経済学や数理社会学は「合理的選択理論」を基盤にしてきた(分析社会学の「DBO理論」は合理的選択理論の修正版だと思われる)。行為理論に関連して近年ホットな学問分野が行動経済学であり、人間が必ずしも合理的には行動しないケースが確認されている。

合理的選択理論をベースにした汎用的な分析枠組みがゲーム理論であり、ゲーム理論によって行動科学を統合しようとする動きもある。ゲーム理論は、効用を最大化する合目的的な行動全ての分析に適用できるから、自然環境への適応にも適用できると思われるが、社会的行動の場合特に効力を発揮する。それは他者の行動を踏まえて行動を選択する際の均衡解を導くことができる。このような社会的行動は人間以外でも見られて、様々な生物の社会的行動がゲーム理論によって分析されている。ダーウィンの進化論は利他的個体の存続(進化)を説明できないが、ゲーム理論によって説明できるようになった。一方で、歴史的に共産主義よりも資本主義が繁栄したように、広い範囲での協力をうまく行うには利己的な協調が適していることが神取ミクロで主張されている。つまり、社会の規模間によっても進化する行動形質は異なるということである。

 

様々な形質について理論よる科学的・統一的説明を与えるには、それらが合目的的である必要があるのだが、その「目的」をどのように設定するかはかなり重要である。また、「適応度の最大化」とか「効用最大化」とかが設定されることがあるが、それらもどのような時間幅で見るかによって異なってくる。行動経済学が「非合理性」を裏付ける知見を生産しているといっても、それも「ある目的に対して」「ある時間幅で見た時に」合理性をくみ取れないというだけであって、より広く時間幅を取ったりしたら変わるだろう。例えば、人間の利他心は基本的には非合理性と解釈されるが、ボランティアが生きがいとなっている行為者の効用を最大化している可能性が考えられるし、進化的スパンで見ればヒトが利他心を持つことは適応の結果備わった形質かもしれない。つまり、目的や時間幅を定義しないで、合理的/非合理的を判断しても生産的ではない。

しかし、全ての人間、全ての種が意識的・無意識的に目指している目的・目標が存在するかどうかというのは分からない(もしこれが何らかの根拠によって特定出来たら科学史に残る世紀の大発見だろう)。

だから結局は、「理論化のしやすさ」という便宜的機能も考慮し、目的と時間幅を明示したうえで、行動形質の理論を構築していけばよいと考えている。